Q17 医師法21条の異状死体の届け出をめぐる議論について〜その2
1、今回のご相談内容
前回は、日本法医学会の「異状死ガイドライン」が医師法21条をめぐる議論の発端となったことについてお話させていただきました。今回も、前回に引き続き、医師法21条をめぐって、その後、どのような議論が展開されていったのかについて、当職の私見も交えつつ、お話させていただきます。
2、広尾病院事件
平成11年2月、東京都立広尾病院において、看護師が、患者への点滴の際、血液凝固防止剤と消毒液を間違えて注入した結果、患者が死亡するという医療事故が発生しました(広尾病院事件)。遺体の右腕に、静脈に沿って赤い色素沈着が認められ、外表異状が明らかなケースでした。担当医と院長は医師法21条に基づく届け出を怠り、病死および自然死ではないにもかかわらず、死因を偽って死亡診断書及び死亡証明書を作成し、遺族に交付したとして、医師法21条違反、虚偽有印公文書作成、同行使罪等で書類送検されました。
その結果、担当医は、医師法21条違反のみで略式起訴され、罰金2万円の略式命令が確定しました(その後、医業停止3か月の行政処分となりました)。これに対し、院長は、医師法21条違反と虚偽有印公文書作成、同行使罪で起訴され、無罪を主張して争いましたが、第一審(東京地方裁判所)は医師法21条違反と虚偽有印公文書作成、同行使罪で、懲役1年、執行猶予3年、罰金2万円の有罪判決を言い渡し、控訴審(東京高等裁判所)も院長の控訴を棄却し、そして、最高裁判所も、平成16年4月13日、院長の上告を棄却する判決を言い渡し、上記有罪が確定しました(その後、医業停止1年間の行政処分となりました)。
この事件において、最高裁判所は、初めて正面から医師法21条をめぐる判断を示しました。すなわち、最高裁判所が、「医師法21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査すること」をいい、「死体を検案して異状を認めた医師は、自己がその死因等につき診療行為における業務上過失致死等の罪責を問われる恐れがある場合にも、本件届出義務を負う」として、いわゆる「外表異状説」を明言したのです。
3、厚生省保健医療局国立病院部リスクマネージメントスタンダードマニュアル作成委員会 「リスクマネージメントマニュアル作成指針」
平成12年6月、広尾病院事件の医療関係者が東京地方裁判所に起訴されましたが、その直後の同年8月、厚生省保健医療局国立病院部(現在の独立行政法人国立病院機構の前身)は、国立病院等における医療事故の発生防止と事故発生時の対応について「リスクマネージメントマニュアル作成指針」を発表しました。
この指針において、「5 警察への届出」なる項目を設け、「(1)医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う。」と明記された上に、「(注)医師法(昭和23年法律第201号)第21条の規定により、医師は、死体又は妊娠4ヶ月以上の死産児を検案して異状があると認めた場合、24時間以内に所轄警察署に届け出ることが義務づけられている。」と注意書きされました。
広尾病院事件において医師法21条違反で病院関係者が起訴された直後であるという時代背景の中で、当時の厚生省は、医療過誤と医師法21条の届け出義務を関連づけてしまったわけです。そして、この指針を、全国の国公立病院が遵守するよう指導されてしまった結果、平成12年以降、医療事故の警察への届け出が激増し、社会問題にもなりました。つまり、医師法21条の届け出義務違反に問われることを恐れて、警察へ届け出た結果、医療関係者が次々と業務上過失致死罪の被疑者となったわけです。
今から振り返ってみると、この指針こそ、まさに医療崩壊を加速させた悪の根源といえるかもしれません。
4、日本外科学会等11学会の声明
当然のことながら、臨床現場においては危機感が募り、平成13年4月10日、日本外科学会等11学会は「診察に関連した『異状死』について」と題する共同声明を発表しました。この声明は、「診療行為に関連した『異状死』とは、あくまでも診療行為の合併症としては合理的な説明ができない『予期しない死亡、およびその疑いがあるもの』をいうのであり、診療行為の合併症として予期される死亡は『異状死』には含まれない」ことを確認するというものでした。
まさに、現実に医療現場で患者に接して診療している外科医の立場からの悲鳴といえるのではないでしょうか。
5、「独立行政法人国立病院機構のおける医療安全管理のための指針について」の見直し
平成16年4月1日、国立病院・療養所は独立行政法人化されたことを踏まえ、前記3の「リスクマネジメントマニュアル作成指針」は名実ともに失効し、平成16年4月1日より、「独立行政法人国立病院機構のおける医療安全管理のための指針について」が発効し、さらに平成19年3月29日付でその内容の見直しがなされましたが、残念ながら、いずれも、「警察への届出」の項目については、前記3の「リスクマネジメントマニュアル作成指針」を実質そのまま踏襲したものでした。
つまり、平成16年4月13日の広尾病院事件の最高裁判決で「外表異状説」が明言されたにもかかわらず、いまだ医療過誤と医師法21条の届出義務を関連づけたままの状態が続くわけです。
そのため、このあたりの議論を十分理解せず、外表異状がないにもかかわらず、この国立病院機構の指針に従って、遺族から責め立てられるがままに、院長判断で医師法21条の届出をした結果、担当医が業務上過失致死罪の被疑者の立場に置かれて苦悩しているというケースも実際あるのです。そのケースでは、院長はじめ病院幹部は、医師法21条の届け出義務のことしか頭になく、警察へ届け出をした後、当事者である担当医が刑事事件の被疑者の立場に置かれるということを、よもや想像すらしなかったとのことでした。国立病院機構の指針に従うこと、医師法21条の届け出義務違反に問われないようにすること、それしか考えていなかったというのです。院長曰く「まさか、警察がすぐに病院に乗り込んでくるとは思いもしなかった」とのことでした。まさに呆れるばかりでした。
次回も、引き続きこのテーマについてお話させていただきます。
(月刊誌『クリニックマガジン』連載『日常診療におけるトラブルの予防・解決〜医療者側弁護士による法律相談室〜』シリーズ第17回 掲載記事より(令和元年8月号・第46巻第8号 通巻602号・令和元年8月1日発行 編集・発行 株式会社クリニックマガジン))