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水島綜合法律事務所 - Q&A

Q&A

Q26身寄りなし、意思確認が困難な患者が急変したら・・・?!

1、今回のご相談内容
 現在、世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるっており、マスクも、アルコール手指消毒剤も在庫切れという悲惨な状態が続いています。このコラムが掲載されるのは5月号とのことですので、せめてその頃には収束の兆しが見えていることを祈るばかりです。
 さて、今回は、身寄りがなく、意思確認が困難な入院患者の治療をめぐるご相談です。
 患者は90歳代の男性で、当院転院前に意識消失で転倒され、いったん心肺停止となり、挿管して蘇生した後に当院に搬送されてきたとのことでした。現在は、抜管し、自発呼吸も安定しているものの、せん妄状態が続いており、喀痰が多く、誤嚥の可能性が高い上に、意思疎通が困難な状態とのことです。
 昨年妻が他界し、他に身寄りがなく、現在、成年後見人の選任手続きが取られているが、成年後見人が選任されるまでまだ1か月以上かかる見込みとのことです。いつ急変するかもしれないという状況で、治療につき誰の同意も取れない場合、どう対処すればよいのかというご相談でした。
2、そもそも成年後見人は治療行為の同意はできないこと
 ご相談の趣旨は、成年後見人が正式に決定されるまでに急変したら、治療行為の同意ができる人がいないので、どうしたらよいのかということでした。
 残念ながら、この相談内容自体、実は間違っています。なぜなら、成年後見人にはそもそも治療行為の同意権はないからです。成年後見人が決定されているか否かは、何の関係もありません。
 確かに、成年後見制度は、判断能力の不十分な認知症高齢者・知的障害者・精神障害者等を支援し保護するための制度であり、成年後見人には身上監護(事務)として、医療契約の締結・契約の解除・費用の支払いといった医療に関する事項の代理権があります。
 しかしながら、具体的な医療行為(比較的侵襲の少ない健康診断の受診から侵襲の度合いが大きい外科手術、さらには延命治療に至るまで)のいずれについても決定権・同意権は、成年後見人には認められていないのです(外国では認められているところもあるようですが、わが国では立法段階で議論されたものの、導入が見送られました)。
 したがって、成年後見人に医療行為についての決定権・同意権がない以上、医療機関側としてはインフォームドコンセントの一環として成年後見人に対して治療前の説明をしたところで法的には意味がないということになります。
 ただ、現状では、そのあたりの誤解があるため(実際、今回のご相談もその点、誤解されていました)成年後見人に対し、治療行為の同意書への署名捺印を求めているケースが散見されるようです。もちろん、身寄りのない患者の治療に関し、成年後見人に説明をした上で、成年後見人が説明を受けたことについて記録を残すために(あくまで同意という意味ではなく)署名押印をしてもらうこと自体は可能です。実際の臨床現場において、そのような運用をされているために、あたかも成年後見人に決定権・同意権があるかのような誤解が生じてしまっているのかもしれません。
3、では、どう対処すればよいのか?
 今回ご相談のケースでは、急変時に蘇生をするかどうか(延命措置をとるかどうか)、本人を含め誰も意思決定ができないことになりますので、もし急変した場合は、人工呼吸器を装着する等の蘇生措置を含めてできる限りの医療行為を尽くす必要があるということになります。
 DNAR(DNR)(Do Not Attempt Resuscitation:蘇生措置拒否)が取れていないにもかかわらず、蘇生措置をしなければ、最悪の場合、「不作為」による殺人罪(刑法199条)に問われる可能性がありますので、注意が必要です。
4、新型コロナウイルスの蔓延で人工呼吸器が不足している問題
 ただ、既に新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大により医療崩壊の危機に瀕している欧米では、人工呼吸器が圧倒的に不足しているのが現状です。
 そのため、最前線で治療にあたっている医師は、持病があり回復の見込みのない高齢感染者の人工呼吸器を外して、新たに運び込まれた持病のない若い感染者に使うという苦渋の選択を迫られているということが現実に起こっているようです。わが国においても、このまま感染が拡大し続けた場合、起こり得る事態かもしれません。
 もし、今後、そのような事態に至れば、医師としては、救える可能性の高い若い患者のために、回復の見込みのない高齢患者の人工呼吸器を外すという恐ろしい苦渋の選択を迫られることになります。限られた医療資源の中で、治療の優先順位を決める必要がありますから、助かる見込みのない患者あるいは軽傷の患者よりも、処置を施すことで命を救える患者を優先する、これは、まさにトリアージということでしょう。
 では、法的観点から見た場合、このトリアージはどう考えるべきでしょうか?
 確かに、持病のある高齢の感染者といえども人工呼吸器を装着していることである程度延命可能である以上、それを外す行為は、上記3と同様、刑法199条の殺人罪に問われる可能性があります。
 ただ上記3の場合は、蘇生措置をしないという「不作為」が問題となるのに対し、この場合は、現にそれによって生命が維持されている高齢の感染者から人工呼吸器を取り外すという死の結果に直結する「作為」が問題となりますので、より殺人罪に該当するということを理解しやすいのではないでしょうか。
 しかしながら、新たに運び込まれた若い患者も人工呼吸器を装着しなければ確実に死亡するのです。
 どちらの命を選択するか、混乱状況の中で正しいトリアージの判断をすることが前提となりますが、このようなギリギリの選択をした医師に対し、殺人罪の刑事責任を追及することは許されません。このような場合、医師の刑事責任を問わないために用意されているのが、緊急避難(刑法37条)という考え方です。
 刑法37条第1項は、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その限度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」と規定しています。
 まずもって、このような恐ろしい事態を回避し、何とかこの難局を乗り切りたいと切に願うばかりです。
 迫りくる危機的状況に自らの身を危険にさらしつつも強い使命感を持って、最前線で見えない敵と戦っておられる医療従事者の方々に敬意を表したいと思います。

(月刊誌『クリニックマガジン』連載『日常診療におけるトラブルの予防・解決〜医療者側弁護士による法律相談室〜』シリーズ第26回 掲載記事より(令和2年5月号・第47巻第5号 通巻611号・令和2年5月1日発行 編集・発行 株式会社クリニックマガジン))

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